上野智弘の日記

日常をだらだらと綴る


twitterについて思うこと

巷で大流行りのtwitter、私も半年ほど触って、最近ようやく面白さが分かってきた。

140字という短い文章を気ままに投稿して、気に入った人たちの投稿した文章も見ることができ、気に入られた人たちに自分の投稿も見てもらえる。有名人相手でない限りほとんどの相手とは互いに文章を見たり見られたりの関係になるので、会ったことの無い人でも友人のような気になる。自分も相手も投稿できる環境にいる場合はチャットのような使い方になる。共通の話題を持った人達での集まりになるので深い話題もOK。なんだかサークル仲間と部室で駄弁っているような感じ。これはハマるわけだ。

ただ、ノイズが多い。自分が読みたくない話題まで見えてしまう。また、気に入った人を増やしすぎると受け取る文章が多くなりすぎて追いきれなくなる。

私はtwitterの前までは他人向けの発言はブログで行ってきたので、ある程度は責任のある文章にするために推敲もするし、場合によっては結構な長さの文章も書いてきた。ただtwitterでは簡単に投稿できるので、自分の発言に重みを持たせる努力をしなくなる。確かにこれは「つぶやき」そのものだ。つまり、自分の発言は吹けば飛ぶよなつぶやきに過ぎず、他の人から受け取る発言も同レベルということになる。お互いに空虚な文章を見せ合っているわけだ。

そして、140字という文字数の制限は、まとまったことを書くには短い。いくつかの発言に分割することも出来なくはないが、他人の発言で気に入ったものを転送する機能があるため、なるべくひとつの発言にまとめてしまいたいので、苦労して140字に切り詰めることになる。この時に、私だけかもしれないが、思考の広がりまで切り詰めてしまっているような気がする。例えば、新作の真空管アンプの構想を練っているとする。シャーシは、電源は、部品は、回路構成は…といろいろと考えを巡らせるのだが、これをtwitterで発言するために140字に切り詰めると、思いめぐらせていた細部についての考えが萎縮してしまう。深く有意義なはずの構想も、空虚な抜け殻だけが残ってしまうのだ。

twitterに結構どっぷり浸かっていたのだが、2日ほどtwitterに深入りしない生活をしてみたら、少しは充実した感じがする(生産的なことをしていないのは同じだが)。旅先でのtwitterへの投稿は続けていくつもりだが、自宅と会社の往復をしている日は、もう少し脱twitterな生活をしてみるつもりだ。

2011年2月22日 火曜日 11:23

カテゴリー:その他